もっとヒリヒリを!
わたしが体育さんのファンになった時点では、
まだ「FIGHT CLUB」は発売されてなかった。
「SAITAMA」までの楽曲でハマった。
SAITAMAまでのマジ曲にはあってFIGHT CLUBにはない…いや減ったもの、
それは、土着感とヒリヒリ、ではないかな。
エクレア、観察日記、Snack、鴨川等間隔、弱者、私生活。
これらに出てくる京都や宇治の地名、
そこでの生活を織り込んだ歌詞からにじみ出ていた、土着感。
ヒリヒリというのは、彼の曲に含まれる、
孤独/焦燥/プライド/劣等感/優越感/渇望/あがき/モラトリアム/宙ぶらりん/
卑屈/陰鬱/葛藤/諦念/冷笑/皮肉/道化/苦悩/煩悶/懊悩/自問自答/孤立/
虚勢/切望/憧憬…
などの要素のこと。
この二つが、FIGHT CLUBには、ほとんどない。と思う。
ご本人は「原点回帰のアルバム」と言うてはったが、
それでもやっぱりわたしはそう思う。全然ちがうよ。
(と言うても、FIGHT CLUBもこれはこれで好きなのよ。
全曲網羅してはった横アリ公演には行ったし、そのDVDも買うたし。)
土着感が薄れてるのは仕方ない。
東京に引っ越さはって久しいわけやから、
いつまでも引っ張ってたら嘘くさくなるような気もする。
けど、郷里を離れて久しいわたし(体育さんと同郷)にとっては、
彼の曲に感じるノスタルジーも大きな魅力なので、少しさみしい。
いや、だいぶさみしい。
ヒリヒリのほうであるが。
横アリライブでも「おれは今、自分の人生が、楽しい!」て言うてはったし、
そのこと自体はわたしにとっても嬉しいことには違いないねんけど、
でもやっぱり、わたしの琴線をかき鳴らす、
ヒリヒリな体育さんも見たい聴きたい。すごく。
宇治の自室でひとり音楽を作ってはったときと同じ感情は
きっともう湧いてこないのだろうけど、
今は今で、きっと新たなヒリヒリを抱えてはると思うのよね。
有名になったが故の孤独感とか、ままならなさとか、
音楽界にあまたいる猛者たちと同じ土俵に立ち続けることの厳しさとか、
多忙な日々の谷間にふと感じる闇とか、消費されることへの惧れとかさ。
そういうの、聴きたい。