もう二つ寝るとお正月
年末になると必ず思いだす俳句と短歌がある。
去年今年貫く棒の如きもの
(こぞことしつらぬくぼうのごときもの)
門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
(かどまつはめいどのたびのいちりづかめでたくもありめでたくもなし)
…作者は誰だっけ。
いま確認したら、俳句は高浜虚子、短歌、じゃなくて狂歌は一休禅師だった。
私は、正月だからって特別なことはあまりしない。
雑煮は作るし、玄関の扉にお飾りはつける。年賀状も多少は書く。
でもお節は作らずに簡易的なものを買って済ますし、和装はしない。
だから、
元旦にみな一律に歳をとってた昔の人の心持ちとか、
正月に無言で若水を汲んで飲む厳粛な雰囲気とかは正確にはわからない。
でも、じき50歳になる身であるゆえ、
ああまたあの世に一歩近づいたんだな…という感慨というか慨嘆は、
身に染みてわかる。
それと同時に、新年という区切りがあるとしても、
毎日の生活のルーティーンはそれを貫いて淡々と続き、
今日と大して変わらない明日がやってくるんだなという予感や諦めもありつつ、
それに感謝する気持ちももちろんある。
つまり何が言いたいのかと言うと、
今年と同じように、私は私なりに日々を漕いでゆくので、
私のまわりの皆さん来年もどうぞよろしく、ということです。
よいお年を。