音楽とわたくし
ろくにテレビを見せてもらえない家庭で育ちました。
父はクラシック音楽マニア、上方落語とカメラと蒸気機関車も好き。
母はドイツ語と平安文学と歌舞伎が好き。
歌番組もドリフも欽ちゃんも基本ダメでした。
そして母の趣味でピアノを習わされてました。
すごく嫌いだったけど、10~11年間続けました。
中2の時、同級生の石原さんが、レコードを貸してくれました。
プリンスの「Parade」と、マドンナの「True Blue」。
Maxellのテープにダビングして、擦り切れるほど聴きました。
こんな世界が!!!!と虜になりました。
そこからは怒涛の洋楽漬けの日々。
特に86年~88年あたりは、ビルボードの年間ヒットチャート100位くらいまで、
全部知ってました。サビくらいなら歌えました。
自由時間とお小遣いのほとんどをつぎ込みました。
大学入学後は学業やバイトで忙しくなったりして、
いっとき洋楽から離れました。
でも当時30代だった(多分)吉井和哉さんの色気に急にやられて
THE YELLOW MONKEYを聴くようになり、
ついでに初めてJ-popというものを聴くようになりました。
通学やバイトで車移動が多かったので、
ego‐wrappin'とかがよく流れてたなあ。
きよピー大好きでした。お元気かしら。お元気よね。
就職してからは、時々ライブやコンサートに行ってました。
京都のどっかで憂歌団、
出町柳駅の地下にあった(今もある?)ライブハウスでMonday満ちる。
他にもあったっけ。
あっ、明和電機のコンサート(という名称ではなかったような)にも行った!
たしか大阪厚生年金会館かどっか、けっこう大きめのホールで、
一般販売でふつうにチケット取っただけなのになぜか最前列のまん中だった。
あと、当時の職場が京都の四条河原町だったので、
祇園の三線教室に通って、蛇皮線(沖縄三味線)の弾き語り習ってました。
仕事辞めたのと同時に通うのも止めたので、一年ちょっとしか続きませんでしたが。
宇治大田楽の踊り子をしたときに篠笛の響きに魅せられ、
その後自分で買って少し練習しました。
その後横浜に引っ越し、
Motion blueやBlue Noteへいろいろ聞きに行きました。
明治神宮野外でおおたか静流&Begin&押尾コータローのライブも見た。
乗ってた車の会社が、毎年夏の夜に、
箱根の美術館で野外コンサートを主催してたので、
それも欠かさず行ってました。
これらは2002~2007年くらいまでのこと。
その後は自分の生活を回すのに精いっぱいで
ずーーーっと音楽から離れていたのですが、
(車移動中にラジオは聴いてました。主にinterFM。
けど経営母体が変わってからは、、、あまり、、、)
2021年10月、突如として岡崎体育が降ってきました。
ほぼ15年ぶりくらいに、私の日常に音楽が戻りました。
勢い余ってウクレレも始めました。
音楽って文字通り楽しいですね。
体育さんありがとう。